2012年1月31日火曜日

地上の楽園

モロッコを旅したときの話。
アトラス山脈の麓の田舎の村を訪れた時、川沿いの道にたくさんの絨毯が敷いてあった。
色とりどりのペルシャ絨毯が木陰に直接敷かれ、クッションまで置かれている。
よくよく見ると、そこは「カフェ」であった。

モロッコの夏は大変暑く、日中は40度を超える。昼間に外を長時間歩くのは自殺行為。熱中症にすぐかかってしまう。
人々は少しでも涼しい川のそばに絨毯を敷き、木陰でミントティーを飲み、水タバコを吸ったりしてのんびりと「涼」を取るのである。

モロッコはイスラム教の国である。
砂漠の乾燥した厳しい気候の中で生活するイスラムの人々にとって「木陰で休息を取る」事はとても大切なことだ。
それをよく表しているのがイスラム庭園である。

イスラム文化の中で「庭」とは、欧米のように「外に見せる」ものではない。
塀に囲まれ、外からは見えない「内なる空間」である。
厳しい外の世界から帰った人々は、家の中に造られた「中庭(パティオ)」でリラックスし疲れを癒す。彼らにとって庭とは大変プライベートな空間なのだ。
古代ペルシャでは、壁や塀で 「囲われた庭園」 のことを「パイリダエーザ (Pairidaêza)」という。これが「パラダイス (Paradise) 」の語源となった。
多くのイスラム庭園はシンメトリーに4分割された花壇と、中心に据えられた水がコンコンと湧き出る噴水から構成される。
花壇には美しい花を咲かせる木や、オレンジやレモン、アーモンドなどの果実のなる木が植えられる。
その美しい景色はまさに「地上の楽園(パラダイス)」。
イスラム教の聖典「コーラン」の中でモハメッドが説いた「あの世の楽園」を、現世で表現したものなのだ。

ふと疑問に思い、モロッコの人に聞いてみた。
「なぜイスラム庭園はシンメトリー?」

すると彼は明快にこう言った。
「だって人間の体はシンメトリーだろ?それが一番美しい形なんだよ」

すべての美の基準は人間の体。
モロッコ人の美しい感性に触れた言葉であった。








2012年1月29日日曜日

金閣寺派?龍安寺派?


海外の人に京都の庭を案内していると、その国の人の「好み」の庭がなんとなくわかってくる。
案内するときは必ず様式も時代も違う、様々な庭を3つ以上紹介するようにしているのだが、国によって「ウケル庭」が少しずつ違ったりする。
なのでそれを考慮の上、庭をチョイスしてあげるようにしている。


例えばアメリカ人。
彼らを案内して必ず喜ばれる場所は、ズバリ「金閣寺」。
金色に燦々と輝くゴールドの建物、そしてその姿を凛々しく映しだす池。
アメリカ人のテンションは金閣を見た瞬間マックスになり、「オー!シャイニーテンプル!ビューリホー!」と絶賛する。
アメリカ人がなぜ金閣寺が好きか?理由は「わかりやすく、派手」だからだ。
金閣を見るのに小難しい解説はいらない。
「600年位昔、中国との貿易でボロ儲けしたショーグンが豪華な別荘と庭を造って、ここを極楽浄土(英語ではヘブンと言っておく)にしようとしたんだよ。」と教えてあげると、ますます「ワオ!」と歓喜の声。
それはまさしく彼らが誇る文化、「アメリカンドリーム」なのだ。
こんな豪華な別荘を建てられるパワフルな権力者のイメージが大好きなのだ。
ピカピカに輝く建物はカトリックの教会にも通じるものがある。
西部開拓時代のゴールドラッシュのDNAが、今も彼らに脈々と流れているのかもしれない。


それとは全く対照的なのがフランス人。
フランス人は金閣を見てもあまり興味を示さない。
キンキラの建物を見ても「フーン」という感じ。理由を聞くと、答えは「Too much!(やりすぎ!)」
フランス人にはゴッテゴテな見た目がイヤラシイらしい。
ショーグンの話も「あ~金持ちがやっちゃったね~」みたいな反応。
しかしそんな彼らが大好きな庭がある。それは「龍安寺」。
白石が敷かれた庭に、3、5、7、合計15個の景石が並ぶ、枯山水の庭。
フランス人は龍安寺の石庭を見たとたん急に静かになり、小声で「トレビアン・・・」と感嘆する。
なぜフランス人は龍安寺が好きか?それは「わかりにくく、地味」だからだ。
龍安寺の石庭を見るには色々解説がいる。
「3、5、7」という縁起のよい数字で構成されている事や、一説では「虎の子渡し」という中国の故事を表現した庭という話、15個あるのに何度数えても14個しか数えられず、ある場所に立つと数えられる・・・などパッと庭を見ただけはわからない話が多い。
そうすると彼らは「庭にそれほどの意味があるとは・・・」と感心する。
龍安寺の石庭は、彼らの大好きな「難解で哲学的な美」に通じるのだ。
フランス人は精神性や哲学的なバックグラウンドがあることで「美」をより尊いものとして捉えるようだ。
わかりやすいのではあかんのである。その美を理解しようとして考える過程に、一番「興奮」するのだ。
「日本のZen Garden (枯山水のこと) には’フィロソフィー(哲学)’があるから美しい!」と生き生きと語る彼らから、繊細な美を愛するフランス人の誇りを感じる。


もちろん例外もあるが、庭を通して北米とヨーロッパの歴史や文化、価値観の違いが垣間見れて興味深い。

さてあなたはどっち派?